土地と建物の権利

第2章

登記簿を読む

法務局に遠征したエマが、登記記録の読み方と申請のルール、そして「登記に名前があれば持ち主」とは限らないことを知る

他人の登記簿は、誰でも見られる

「今日は店を出よう。百七十七条の『登記』ってやつの、実物を見に行く」

いつものオルゴールでノートを開きかけたエマに、ヴィクトルはコーヒーも頼まずそう言った。向かった先は、駅の反対側にある法務局。エマにはこれまで縁のなかった建物だ。

「見に行くって……登記って、所有者しか見られないんじゃないんですか? 他人の財産の記録ですよ」

「誰でも取れる。手数料を納めれば、所有者の許可も委任状も要らない。登記は権利を世の中に公示するための制度だからな。隠していたら、対抗要件の意味がない」

先週、二重譲渡では先に登記を入れた買主が勝つと学んだばかりだ。登記がそれほど強い武器なら、確かに、誰でも確認できる場所に置かれていなければ困る。

「なら、あのアパートの登記も取れますか。私が契約直前でやめた、あの……」

「それを取りに来たんだ」

備え付けの請求書に物件の所在などを書き込み、手数料を納めて窓口に出すと、ほんの数分で「登記事項証明書」と題された数枚の紙が出てきた。あっけないほど簡単だった。

一枚の紙は、三つの部屋でできている

エマは待合の椅子で証明書を広げた。ところが、眺めているだけでは何も頭に入ってこない。「表題部」「権利部(甲区)」「権利部(乙区)」——紙は三つの区画に分かれていて、それぞれに知らない言葉がぎっしり並んでいる。

「ヴィクトルさん、これ、どこを見れば『誰のものか』が分かるんですか。甲とか乙とか、契約書の当事者みたいな書き方をされても……」

「読み方には型がある。だがその前に、お前が自己流でどう読むか見せてみろ」

「名前があるなら持ち主」の落とし穴

エマは権利部(甲区)のいちばん下の行に、売主だったおばあさんの名前を見つけた。

「ありました。甲区の最後にあの方の名前。登記簿に名前が載ってるんだから、この人が間違いなく持ち主——国がそう保証してくれてるってことですよね。じゃあ登記さえ確認すれば、売主が本物かどうかなんて疑わなくていいんだ」

「残念だが、それが今日いちばん大事な間違いだ。結論から言う。登記に公信力はない

「こうしんりょく……?」

「登記を信じて取引した者を守る力、と思えばいい。日本の登記にはそれがない。仮に書類を偽造した無権利者が登記簿上の名義人に収まっていて、お前がその登記を信じて買ったとしても、所有権は手に入らない。真の所有者に『返せ』と言われたら、返すしかない」

エマは背筋が冷たくなった。先週「登記を先に入れた方が勝つ」と教わってから、登記とはそれほど絶対的なものだと思い込んでいた。

「えっ、じゃあ登記って何のためにあるんですか。勝ち負けの基準のくせに、中身は保証してくれないなんて」

「役割が違うんだ。登記は自分の権利を第三者に主張するための対抗要件であって、権利の中身を保証する証明書じゃない。だから実務では、登記を確認した上で、さらに売主本人の意思確認や現地調査を重ねる。登記は入り口であって、ゴールじゃない」

表示は義務、権利は自由

「じゃあ、型を教える」とヴィクトルは証明書を指でなぞった。「登記記録は不動産一つごとに作られて、大きく表題部権利部に分かれる。権利部はさらに甲区乙区に分かれる」

「甲区は『誰のものか』、乙区は『何が付いているか』。この一言で覚えろ」

「それから、登記には申請が義務のものと、自由のものがある。表題部の登記——たとえば建物を新築したときの表題登記は、所有権を取得した日から一ヶ月以内の申請義務があって、怠れば十万円以下の過料だ。一方、甲区や乙区に載る権利に関する登記には、原則として申請義務がない

「えっ。所有権の登記の方がよっぽど大事なのに、そっちは義務じゃないんですか?」

「そうだ。だからこそ前回の話が生きる。登記するかどうかは自由——ただし、登記しなければ第三者に対抗できない。義務で縛る代わりに、不利益で登記を促す仕組みなんだ。ただし近年、大きな例外ができた。相続登記の義務化だ。相続で不動産を取得したと知った日から三年以内に申請しないと、正当な理由がない限り十万円以下の過料の対象になる。登記されないまま持ち主の分からなくなった土地が、社会問題になったからな」

「申請の仕方にもルールがある。権利の登記は原則、登記で得をする登記権利者と、損をする登記義務者共同申請だ。売買なら、買主と売主がそろって申請する」

「売った側もですか? もう関係ないのに、面倒くさがりそう」

「不利益を受ける側をあえて関わらせることで、嘘の登記を防いでいるんだ。公信力がない分、入り口の真実性はここで担保する。もちろん例外もある。判決による登記相続による登記は単独で申請できる。裁判で争った相手や亡くなった人に『一緒に申請してくれ』とは言えないからな。ほかに、登記名義人の氏名や住所の変更登記、それに仮登記も、登記義務者の承諾があれば単独で申請できる

「仮登記? 仮免許みたいなものですか」

「近い。本登記の要件がまだそろわないうちに、順位だけを先に確保しておく登記だ。あとで本登記に進んだとき、その順位は仮登記をした時点のものになる。ただし、仮登記のままでは対抗力はない。順位を保全するだけの、いわば席取りだ」

「席は取れるけど、まだ座って主張はできない……」

「うまい言い方だ。それともう一つ、お前の一戸目のような区分マンションには特例がある。所有権の保存登記は本来、表題部に所有者として載っている者が申請するものだが、区分建物では表題部所有者から直接買った者——分譲業者から買った人が、自分の名義でいきなり保存登記できる。一部屋ごとに業者名義の登記を挟むのは無駄だからだ」

乙区に残っていたもの

「よし、仕上げだ。この証明書を、今日の型で読み直してみろ」

エマはノートに三層の図を描きながら、一行ずつ確かめた。表題部には所在と家屋番号、構造。甲区には数代にわたる所有者の移り変わり。相続を原因とする移転登記のあと、いちばん下におばあさんの名前。ここまでは読める。そして乙区——。

「……ありました。抵当権設定。債権額と、銀行の名前。これだ。仲介の担当者が口ごもった、あの『消えていない抵当権』」

「そういうことだ。お前が違和感を覚えたものの正体は、乙区に登記された抵当権だった。あの日のお前は、この紙の読み方すら知らずに、契約書へ判を押す一歩手前まで行っていたわけだ」

エマは小さく身震いした。ヴィクトルは指を三本立てる。

「復習だ。一問目——『売買で所有権を取得した者は、一ヶ月以内に移転登記を申請しなければならない』。○か×か」

「×です。権利の登記に申請義務はない。……ただし相続登記だけは、知った日から三年以内の義務でした」

「二問目——『仮登記をしておけば、本登記の前でも第三者に対抗できる』」

「×。仮登記は順位の席取りだけで、対抗力はないです」

「最後——『この乙区の抵当権が付いたままの物件は、絶対に買ってはいけない』」

エマは答えに詰まった。直感では「買ってはいけない」だ。だが、ヴィクトルがわざわざ最後に置いたということは、きっと……。

「その迷った顔が正解だ。答えは次回。抵当権とはそもそも何で、なぜ実務では『付いたまま』でも取引が始められるのか。この紙の続きを読むぞ」

まとめ

確認クイズ

1 / 5

建物の登記記録に関する記述として正しいものはどれ?