「ハンコを押すだけ」の相談
昼休みの給湯室で、エマは同僚に呼び止められた。
「エマさん、不動産に詳しいでしょう。実は弟がひとり暮らしを始めるんだけど、賃貸契約の連帯保証人になってほしいって言われてて。『払うのは俺なんだから、姉ちゃんはハンコを押すだけだよ』って弟は言うの。これ、引き受けて大丈夫なものなのかな」
エマは答えに詰まった。自分もワンルームを買ったとき、ローンの書類で「保証」という言葉を何度も見た。でも、保証人と連帯保証人の違いを説明しろと言われると、言葉が出てこない。
その夜、エマはオルゴールの奥の席で、疑問をそのままヴィクトルにぶつけた。
「保証人と連帯保証人って、名前が違うだけで、ほぼ同じですよね? どちらも『本人が払えなかったら代わりに払う人』でしょう。だったら、弟さんがちゃんと家賃を払っているかぎり、同僚には関係のない話というか……」
ヴィクトルはカップを置いた。
「結論から言う。まるで違う。『連帯』の二文字は、民法の中でもいちばん重い二文字だと思っていい。それを知らずに押したハンコで、生活が変わった人を何人も見てきた」
保証人が持つ三つの盾
「まず、保証の仕組みから整理する。保証契約は、誰と誰の契約だと思う?」
「え? 弟さんと同僚……主債務者と保証人、ですよね」
「違う。債権者と保証人の契約だ。この場合なら大家と同僚。弟は主債務者ではあるが、保証契約の当事者ですらない。極端な話、主債務者に頼まれていなくても保証契約は結べる」
「本人抜きで契約が生まれるんですか……」
「そして保証契約は、書面か電磁的記録でしなければ効力を生じない。第1章で『契約は口約束でも成立する』とやっただろう。保証はその大きな例外だ。軽い気持ちの『いいよ、なるよ』という一言から人を守るために、書面が要求されている」
保証債務の性質も、ヴィクトルは続けて挙げた。主債務が弁済や時効で消えれば、保証債務も自動的に消える。これを付従性という。主債務あっての保証、という主従関係だ。そして債権が譲渡されれば、保証はその債権についていく。これは随伴性。前章でやった債権譲渡の場面では、保証人は新しい債権者に対して責任を負い続けることになる。
「その上で、普通の保証人には三つの盾がある」
「なんだ、けっこう守られているんですね」エマは胸をなで下ろした。「じゃあ同僚も、弟さんに払えるお金があるうちは、この盾で断れるんだ」
「契約書を見てみろ、と伝えることだな。十中八九、連帯保証人と書いてある。そして連帯保証人には——いま挙げた三つの盾が、一枚もない」
「連帯」の二文字が盾を消す
エマは、ノートに書いたばかりの三つの盾に、大きくバツをつけるはめになった。
連帯保証人には、催告の抗弁も、検索の抗弁も、分別の利益もない。大家は、弟に一円も請求しないまま、いきなり同僚に全額を請求できる。弟の口座に十分な残高があってもだ。連帯保証人は「代わりに払う人」ではなく、最初から主債務者と並んで全額を負う人なのだ。
「実務の保証は、賃貸も融資も、ほとんどが連帯保証だ。盾つきの保証では、債権者が受け取ってくれない」
「じゃあ、せめて時効は……主債務のほうで何か起きれば、付従性で保証人にも影響するんですよね?」
「いい視点だ。ただし、効力の流れには向きがある」
主債務者に生じた事由は、保証人にも及ぶ。債権者が主債務者に履行を請求して時効の完成が猶予・更新されれば、その効力は保証人にも及ぶ。付従性の帰結だ。ところが逆向きは違う。連帯保証人に生じた事由は、原則として主債務者には及ばない。債権者が連帯保証人だけを訴えても、主債務の時効は淡々と進み続ける。
「もうひとつ、同僚の件でいちばん大事な話をする。賃貸の連帯保証が引き受けるのは、いまある借金じゃない。将来発生するかもしれない滞納家賃や原状回復費用という、まだ金額の決まっていない債務のまとまりだ。これを根保証という」
「上限がないってことですか? 何年住むかも、いくら滞納するかもわからないのに」
「そこが改正民法の急所だ。個人が根保証をする場合、極度額——責任の上限額——を書面で定めなければ、契約そのものが無効になる。契約書には『極度額 金何円』や『家賃何か月分相当額』という記載が必ずあるはずで、それが同僚の背負う最大額だ。記載がなければ、その個人根保証は効力を生じない」
エマは自分のローンを思い出した。ワンルームを買ったとき、保証人は誰にも頼んでいない。代わりに保証料を払って、保証会社がついた。
「私のローンの保証会社も、同じ規律なんですか?」
「保証会社は法人だ。極度額の規律は個人の保証人を守るためのもので、法人には適用されない。お前のローンは、法人が商売として保証を引き受けている。同僚の件は、個人が情で引き受けようとしている。法が守ろうとしているのはどちらか、という話だ」
三人で借りた九百万円
「保証とセットで試験に出るのが連帯債務だ。今度は保証人ではなく、全員が主役として同じ債務を負う形。たとえば三人が連帯して九百万円を借りれば、三人それぞれが九百万円全額の支払義務を負い、債権者は誰にでも全額を請求できる」
「全員が主債務者みたいなものですね。なら、ひとりに起きたことは他のふたりにも……」
「原則は逆だ。連帯債務者のひとりに生じた事由は、他の債務者には及ばない。相対効の原則という。請求も、免除も、時効の完成も相対効だ。ただし例外が四つある。弁済・更改・相殺・混同。この四つだけは全員に効く絶対効だ」
「相殺!」エマは思わず声を上げた。「前回、さんざんやったやつ」
「そうだ。家賃と敷金で鍛えたあの相殺が、ここでは絶対効として再登場する。連帯債務者のひとりが債権者への反対債権で相殺すれば、その分は全員の債務が消える。誰かが現実に弁済したのと同じで、債権者はもう満足を得ているからな」
払った後の精算にもルールがある。弁済した連帯債務者は、他の債務者に負担部分に応じて求償できる。しかも、自分の負担部分に満たない一部弁済でも、払った額を負担部分の割合で分けた求償ができる。
「よし、設例で確認だ」ヴィクトルはナプキンに書き始めた。
——A・B・Cが負担部分平等で九百万円の連帯債務を負う。(1)債権者がAに履行を請求した。B・Cの時効の完成は猶予されるか。(2)Bが債権者に対する九百万円の債権で相殺した。A・Cの債務はどうなるか。(3)Cが九十万円だけ弁済した。A・Bに求償できるか。
エマはノートの矢印図をにらみながら、ひとつずつ答えた。(1)請求は相対効だから、B・Cの時効は猶予されない。(2)相殺は絶対効だから、九百万円全部が消えて、A・Cも債務を免れる。(3)負担部分の三百万円に届いていなくても、九十万円を三等分して、AとBに三十万円ずつ求償できる。
「全問正解だ。で、同僚にはなんと答える?」
「連帯保証人は『弟の代わり』じゃなくて『弟と並んで全額を負う人』だということ。断るための盾は一枚もないこと。それから、契約書の極度額の欄を確認して、その金額を自分が現金で払えるかどうかで決めて、と伝えます」
「それが答えだ。保証は、頼まれた瞬間の情ではなく、極度額という数字で判断するものだ」
帰り際、エマは鞄から一枚の紙を取り出した。宅建試験の受験申込みの控えだった。
「申し込みました。十月、受けます」
「契約のルールは、これで一巡りだ」ヴィクトルは控えを眺めて、静かに頷いた。「次は、土地と建物そのものの権利に入る。所有権、抵当権、借地借家。お前があのアパートで踏みとどまった『消えていない抵当権』の正体も、そこでようやくわかる」
まとめ
- 保証契約は債権者と保証人の間の契約で、書面(または電磁的記録)でしなければ無効
- 普通の保証人には催告の抗弁・検索の抗弁・分別の利益の三つの盾があるが、連帯保証人には三つともない
- 効力は一方通行: 主債務者への履行の請求(時効の完成猶予・更新)は保証人に及ぶが、連帯保証人への請求は主債務者に及ばない(相対効)
- 個人根保証契約は、極度額を定めなければ無効(賃貸の連帯保証はこれに当たる。法人保証には適用されない)
- 連帯債務は相対効が原則。絶対効は弁済・更改・相殺・混同の四つだけ(請求・免除・時効の完成は改正で相対効になった)
確認クイズ
1 / 5
保証に関する次の記述のうち、正しいものはどれか。