街をかたちづくる法律

第4章

その土地に建てられるもの

2項道路とセットバック、接道2mの義務、用途地域ごとの用途制限を街歩きで学ぶ

相場の半額の販売図面

七月の夕方、オルゴールの扉が勢いよく開いた。

「ヴィクトルさん、いたいた。エマさんも。面白いものを持ってきましたよ」

駅前の不動産会社に勤めるハンナが、一枚の販売図面をテーブルに滑らせた。駅から徒歩十分、土地は約百平米。築四十年の古家付きで、価格は千二百万円。エマは思わず身を乗り出した。この立地なら、相場は倍はするはずだ。

「安い……! 古家を壊して新しいアパートを建てたら、すごくいい投資になりませんか?」

「エマさん、図面の隅をよく見てください」

ハンナが指さした先に、小さな文字でこう書いてあった。再建築不可

「再建築、不可? 建て替えちゃいけない土地なんてあるんですか? 自分の土地なのに?」

「あるんです。しかも、この街のあちこちにね」

「先週、建築確認の話をしたな」とヴィクトルがカップを置いた。「確認で審査されるルールには、建物そのものの安全を見る単体規定と、建物と街との関係を見る集団規定がある。今日はその集団規定の入口だ。結論から言う。この土地は、法律上の道路に二メートル以上接していない。だから建築確認が下りず、建て替えができない」

「道路に、二メートル……?」

エマはノートを開いた。土地の広さや値段の話なら分かる。でも「道路にどれだけ接しているか」で建てられるかどうかが決まるなんて、考えたこともなかった。

三十坪あれば建てられるはず?

「でも、変じゃないですか」とエマは食い下がった。「土地は百平米、三十坪もあるんですよ。建物が乗る広さは十分です。道路に接している長さなんて、車を停められるかどうかの話でしょう? 建てられるかどうかとは関係ないはずです」

ヴィクトルはすぐには正さなかった。「なら、現地を見に行こう。歩いて十五分だ。理由は街に書いてある」

三人で店を出た。夕方になっても夏の空気は蒸している。物件は駅の北側、細い路地の奥にあった。狭い通路が奥の広い敷地につながる、旗竿地と呼ばれる形の土地だ。ハンナが通路の幅にメジャーを当てる。

「竿の部分の幅、一・八メートル。二メートルに二十センチ足りません」

「たった二十センチで、ダメなんですか」

「たった二十センチで、です。それからもうひとつ」ハンナは今度は、敷地の前の路地そのものを測った。「この路地、幅三・六メートル。四メートル未満なんですよ」

「四メートル? 今度は何の数字ですか」

「建築基準法が『道路』と認める、原則の最低ラインです」

エマは混乱した。目の前に道はある。人も自転車も通っている。なのに法律の目には、これが「道路」に見えていないかもしれないという。

道と「道路」は違う

「整理しよう」とヴィクトルが路地の入口に立った。「建築基準法四十二条は、原則として幅員四メートル以上の道を『道路』と定めている。そして建物の敷地は、この法律上の道路に二メートル以上接していなければならない。四十三条の接道義務だ。火事や急病のとき、消防や救急が入れない土地に建物を建てさせないための最低条件だよ」

「じゃあ、この路地沿いの家は全部違反……?」

「そうはならない。四メートル未満でも、集団規定が適用された時からすでに家が立ち並んでいた道は、特定行政庁の指定によって道路とみなされる。四十二条二項に書いてあるから、二項道路と呼ぶ」

「みなし道路……。でも、それだと道は狭いままですよね」

「だから条件がつく。二項道路に面した敷地で建て替えるときは、原則として道の中心線から二メートルの線まで敷地を後退させる。セットバックだ。向かい側も建て替えのたびに二メートルずつ下がれば、いつか道全体が四メートルになる。向かいが川や崖なら、反対側の境界線から四メートル下がる。時間をかけて街を作り替える仕掛けだよ」

ヴィクトルは路地の先を指した。見ると、一軒だけ塀が奥まった家がある。隣の家より一メートルほど引っ込んで、そこだけ道が広い。

「あれがセットバックの痕跡だ。あの家は建て替えのときに下がった。両隣はまだ下がっていない。だから道の縁がでこぼこして見える」

エマはノートに路地の絵を描き、中心線から二メートルの矢印を書き込んだ。条文が、目の前の風景の凹凸として現れている。

「なるほど。それで、あの図面の土地は……」

「竿の幅が一・八メートルで、接道二メートルを満たさない。だから再建築不可、融資もまず付かない。安さには理由があるんです」とハンナが早口で締めた。「実務では、隣の土地を少し買い足して二メートルを確保できないかをまず調べます。特定行政庁の認定や許可で例外的に建てられる道もありますが、狭き門ですね」

「もうひとつ覚えておけ」とヴィクトルが続けた。「道路は建物を建てる場所ではないから、道路内の建築は原則禁止だ。例外は地盤面下の建築物や、特定行政庁が通行上支障がないと認めて許可した公衆便所・派出所など。それから、私道であっても、廃止すると接道義務を満たさない敷地が生まれるような場合には、特定行政庁が廃止や変更を禁止・制限できる。道路は個人の都合で消せない、街の背骨なんだ」

神社はどこにでも建てられる

帰り道、ヴィクトルは来た道とは違う通りを選んだ。静かな住宅街の真ん中に、小さな神社と診療所が並んでいる。

「巻の最初の回で、色分け地図の用途地域を十三種類学んだな。今日はその中身、用途制限だ。地域ごとに、建てていい建物の種類が決まっている。エマ、この住宅街に神社と診療所があるのはなぜだと思う」

「えっと……昔からあったから、ですか?」

「半分正解。もう半分は、神社や診療所は十三の用途地域すべてで建てられるからだ。教会も保育所も公衆浴場も派出所も同じ。暮らしにどうしても要るものは、どこにでも建てられるようにしてある」

「じゃあ逆に、場所を選ぶ建物は……」

「頻出の組合せを表にしよう。試験ではこのパターンが繰り返し出る」

建築物 建てられない用途地域
神社・教会・保育所・診療所・公衆浴場・派出所 なし(全地域で建てられる)
住宅・共同住宅 工業専用地域のみ不可
幼稚園・小学校・中学校・高校 工業・工業専用地域で不可
大学・病院 第一種・第二種低層住専/田園住居と、工業・工業専用地域で不可

「住宅が建てられないのは工業専用地域だけ、なんですね。工業地域には住めるんだ……」

「意外だろう。逆に、静かなはずの低層住宅の街には大学と病院は建てられない。大きな建物と人や車の出入りが、低層の住環境になじまないからだ。学校は、幼稚園から高校までと、大学とで線が引かれている」

「ひとつ試そう」とヴィクトルが言った。「敷地二百平米のうち、百二十平米が第一種低層住居専用地域、八十平米が近隣商業地域にまたがっている。この敷地の用途制限は、どうなる」

エマはノートに、二つの色にまたがる敷地の絵を描いた。境界線で建物を分けるわけにはいかない。厳しい方に合わせる? それとも部分ごと?

「……広い方、ですか? 百二十平米ある低層住専の側」

「正解だ。用途制限は、敷地の過半が属する地域の規制を、敷地全体に適用する。この例なら第一種低層住専の用途制限が、近商側の八十平米にもかかる。過半主義という」

「過半主義、っと」エマはノートに書き付けた。

「ただし気をつけろ。過半で決めるのは用途の話だけだ。次回やる建蔽率・容積率は、敷地がまたがる場合の扱いがまるで違う。今日はまず、用途は過半、とだけ覚えて帰れ」

まとめ

確認クイズ

1 / 5

建築基準法上の道路に関する記述として正しいものはどれか。