テーブルいっぱいの色分け地図
七月最初の土曜日。オルゴールの奥の席に着くと、ヴィクトルはコーヒーを脇へどけて、テーブルいっぱいに大きな紙を広げた。市役所でもらってきたという、市の都市計画図。淡い緑、黄色、ピンク、青——街全体が、絵の具を流したように塗り分けられている。
先週、ハンナの会社の商談室で報酬計算の講義を終えたとき、ハンナは早口で言った。「業法はここまで。法令上の制限はヴィクトルさんにバトンタッチね。私も時々顔を出すけど」。そしてヴィクトルはこう引き取ったのだ。「業法は取引のルール。ここからは、土地そのもののルールだ」
「まず、自分の家を探してみろ」
エマは地図に顔を近づけた。見慣れた駅、通勤で渡る橋。自宅のあたりは、淡い緑に塗られていた。巻一で買ったワンルームマンションのある駅前は、赤に近いピンク。同じ街なのに、色がまるで違う。
「エマの家の周りは静かな住宅街だろう。あそこに明日、突然パチンコ店や工場が建つと思うか?」
「建たない……と思います。でも、なぜって聞かれると……たまたま、ですか?」
「たまたまじゃない。**誰かが先に、この図面を引いているからだ。**試験まであと三ヶ月。この夏は、この地図を持って街を歩く」
「区域」と「地域」の迷路
エマはテキストの法令上の制限のページを開いて、正直に白状した。
「実は一度読んだんです。でも、都市計画区域、市街化区域、市街化調整区域、用途地域、地区計画……全部『区域』と『地域』で、どれがどれの中にあるのかさえわからなくて。権利関係みたいな理屈もなさそうだし、結局ぜんぶ暗記なんですよね?」
「暗記科目だと思って条文を丸のみすると、夏の間に必ず溶ける」とヴィクトルは地図を指で叩いた。「結論から言う。法令制限は大きい箱から小さい箱への入れ子構造だ。そして箱の一つひとつが、この地図の色や線として風景に現れている。理屈と風景に結びつけて覚えれば、忘れない」
「調整」は進めることじゃない
ヴィクトルは地図の端、色がほとんど塗られていない白っぽい一帯を指した。
「ここは何だと思う」
「えっと、市街化調整区域……ですよね。市街化を、調整しながらゆっくり進める区域。『調整』っていうくらいだから、時間をかけて少しずつ街にしていく場所、で合ってますか?」
ヴィクトルはすぐには答えず、コーヒーを一口飲んだ。
「逆だ。市街化調整区域は、市街化を抑制すべき区域。つまり『原則として、ここは街にしない』と決めた場所だよ」
「抑制!? 進めるどころか、抑えるほうですか。真逆じゃないですか……」
「言葉の印象で覚えるとこうなる。本試験は、まさにその印象のズレを突いてくる。定義は定義ごと覚えろ」
大きい箱から小さい箱へ
ヴィクトルはナプキンに四角を描き、その中にまた四角を描きながら説明を始めた。
「一番外側の箱が都市計画区域。『この範囲は計画的に街づくりをします』と宣言するエリアだ。指定するのは原則として都道府県。ただし二つ以上の都府県にまたがるときは国土交通大臣が指定する。ちなみに都市計画区域の外でも、放っておくと乱開発されそうな場所には準都市計画区域というものを都道府県が指定できる」
「箱の外にも、予備の箱があるんですね」
「次に、箱の中に線を引く。これが区域区分、いわゆる線引きだ。市街化区域は『すでに市街地を形成している区域』と『おおむね十年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域』。市街化調整区域は、さっき言ったとおり市街化を抑制すべき区域。ただし、この線引きは必ずやるとは限らない。線を引いていない非線引き区域もある」
「じゃあ、この地図の色は何なんですか?」
「それが三つ目の箱、用途地域だ。全部で13種類。住居系が8つ、商業系が2つ、工業系が3つ。エマの家の淡い緑は第一種低層住居専用地域——低い家並みの静かな住宅街を守る色。ワンルームのある駅前のピンクは商業地域——にぎわいの色だ。そして重要なのが、市街化区域には少なくとも用途地域を定める、市街化調整区域には原則として用途地域を定めない、というルール。街にする場所には必ず色を塗り、街にしない場所には原則塗らない」
「色の上には、さらに模様を重ねられる。補助的な地域地区だ。燃えにくい街にする防火地域・準防火地域、建物の高さを揃える高度地区、土地を高度利用する高度利用地区、用途地域の中でさらに上乗せする特別用途地区、緑や景観を守る風致地区。ひとつだけ毛色が違うのが特定用途制限地域で、これは用途地域が定められていない土地の区域に定める。ただし市街化調整区域には定めない」
「色がない場所用の、代わりの模様なんですね」
「それから街の骨格になる都市施設。道路や公園、学校なんかを地図の上に位置づける。市街化区域と非線引き区域には、少なくとも道路・公園・下水道を必ず定める。新しい市街地を面でつくる市街地開発事業というのもある——土地区画整理事業は、この巻の終わりに実物を歩きに行こう。そして一番小さい箱が地区計画。この通りは塀を低く、店舗は一階だけ、というような地区単位の手作りルールだ。地区計画の区域内で建築などをやるなら、行為に着手する30日前までに市町村長に届出。ふさわしくなければ市町村長が設計変更などを勧告できる」
「許可を取るんじゃなくて、届け出るだけでいいんですか?」
「そこが試験の狙い目だ。地区計画は許可ではなく届出。ついでに言うと、都市計画そのものを決めるときは、案を公告して、公告の日から2週間、誰でも見られるように縦覧する。住民や利害関係人は意見書を出せる。設計図は、役所が勝手に描くんじゃなく、住民の目を通してから決まるんだ」
地図の線は道の上にある
「じゃあ、腕試しだ」ヴィクトルは過去問風に出題した。「市街化調整区域には、用途地域を定めることが一切できない。○か×か」
「……×です! 『原則として定めない』だから、例外的に定めることはできる」
「正解。もう一問。地区計画の区域内で建築物を建築するには、市町村長の許可を受けなければならない。○か×か」
「×。許可じゃなくて届出。着手の30日前までに、市町村長に、です」
「よし。地図をしまえ。歩くぞ」
店を出て、二人は駅のほうへ歩いた。低い家並みの住宅街を抜け、大きな通りを一本渡った瞬間、風景が変わった。背の高いビル、一階に並ぶ店、行き交う人。エマははっとして、たたんだ地図をもう一度開いた。淡い緑とピンクの境界線は、まさにいま渡ったこの通りに沿って引かれていた。
「境界線って、地図の上だけのものじゃないんですね。本当に、この道の上にある」
「そうだ。法令制限は暗記科目に見えて、実は全部この風景の理由だ。理由ごと覚えれば、三ヶ月後も忘れない」
エマはその夜、ノートに四角の入れ子を描いた。都市計画区域、線引き、13の色、地区計画。ふと、地図の端の白い一帯を思い出す。街にしないと決めたはずのあの場所で、たしか重機が動いていた気がする——その疑問は、次の週に持ち越しになった。
まとめ
- 都市計画区域の指定は原則都道府県、2以上の都府県にまたがるときは国土交通大臣。区域外には準都市計画区域もある
- 市街化区域=すでに市街地+おおむね10年以内に優先的・計画的に市街化を図る区域/市街化調整区域=市街化を抑制すべき区域。線引きは任意で非線引き区域もある
- 用途地域は13種類(住居系8・商業系2・工業系3)。市街化区域には少なくとも定め、市街化調整区域には原則として定めない
- 市街化区域と非線引き区域には道路・公園・下水道を必ず定める。地区計画内の建築等は着手30日前までに市町村長へ届出(許可ではない)
- 都市計画の案は公告の日から2週間縦覧され、住民・利害関係人は意見書を提出できる
確認クイズ
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都市計画区域の指定に関する記述として正しいものはどれか。