書類の山から出てきた一枚
七月の午後、エマはオルゴールのテーブルに分厚いファイルを広げていた。ヴィクトルに出された宿題——「ワンルームを買ったときの書類一式を全部持ってこい」——のためだ。売買契約書、重要事項説明書、登記の書類。めくっていくと、見慣れない一枚が出てきた。上部に「検査済証」とある。
「ヴィクトルさん、これ、何の証明書ですか。買ったとき渡された記憶はあるんですけど、正直、一度も読んでませんでした」
「結論から言う。それは、その建物が建築基準法の関門を最後まで通り抜けたという証明書だ。先週の造成地の看板、覚えてるか」
「開発許可の標識ですよね。土地の区画形質を変更するには許可が要る、っていう」
「あれは土地の関門。今日はその続き、建物の関門——建築確認の話だ。土地を整えたら、次は建てる前に図面を審査してもらい、建った後に現物を検査してもらう。その最後のゴールテープが、いまお前が持っている一枚だよ」
自分の家なのに、なぜ確認?
エマは検査済証を眺めながら、素朴な疑問を口にした。
「でも、そもそも変じゃないですか? 自分の土地に、自分のお金で建てるんですよ。なんで役所のチェックを受けなきゃいけないんですか」
「いい問いだ。じゃあ聞くが、お前はこのワンルームを買うとき、設計した本人に会ったか? 建てた大工に会ったか?」
「……会ってません。築二十年の中古ですから、図面を引いた人がどこの誰かも知りません」
「それでも大金を払えたのは、なぜだと思う。建てる前に第三者が図面を審査し、建った後に現物を検査する仕組みが、お前より先に働いていたからだ。建物は建てた人だけのものじゃない。火事になれば隣へ燃え移るし、地震で倒れれば道をふさぐ。そして二十年後には、お前のような他人が買う。だから建築基準法は、国民の生命・健康・財産を守るための最低の基準を定めて、建てる前にそれを確認させる。お前が安心して中古を買えたこと自体が、この制度の恩恵なんだ」
ヴィクトルはコーヒーを一口飲んで、少し声を落とした。
「昔、知り合いが満室経営の中古アパートを買いかけたことがある。利回りは申し分ない。だが融資が直前で断られた。調べたら、検査済証の交付を受けた後に、確認を取らずに部屋を継ぎ足した違法増築の物件だった。役所に是正を命じられる前に、銀行が先に弾いたわけだ。**検査済証のない建物は、売るときも貸すときも、お金を借りるときも苦労する。**大家にとって他人事じゃない」
「10㎡以内なら不要」の罠
「じゃあ、試すぞ」とヴィクトルは手帳を開いた。「準防火地域内にあるアパートの敷地に、大家が床面積8㎡の物置を増築する。建築確認は要るか?」
エマはスマホで検索した。それらしい記事がすぐに見つかる。
「えっと……『10㎡以内の増築は建築確認が不要』って書いてあります。8㎡だから、要らないです!」
「半分だけ正解だ。その例外にはただし書きがある。10㎡以内の増築・改築・移転が確認不要になるのは、防火地域・準防火地域の外だけ。この設例は準防火地域内だから、たとえ1㎡の物置でも確認が要る」
「じゃあ、防火地域の外なら、10㎡以内の小屋を新築するのも自由なんですね」
「それも引っかかったな。不要になるのは増築・改築・移転だけで、新築にはこの例外がない。都市計画区域内なら、どんなに小さな建物でも新築には確認が要る」
三つのグループで覚える関門の地図
「体系的に整理しよう」とヴィクトルはナプキンに図を書き始めた。「確認が要るかどうかは、建物を三つのグループに分けると見通しがよくなる。ここは2025年4月施行の改正で区分が組み替えられたばかりだから、古いテキストで勉強するなよ」
- 1号建築物——劇場・病院・共同住宅・飲食店など特殊建築物で、その用途部分の床面積が200㎡超のもの
- 2号建築物——1号以外で、階数2以上または延べ面積200㎡超のもの(木造か非木造かを問わない)
- 3号建築物——どちらにも当たらないもの。つまり平屋かつ200㎡以下
「1号と2号は、全国どこでも確認が要る。新築・増築・改築・移転はもちろん、壁や柱など主要構造部の過半に手を入れる大規模の修繕・大規模の模様替も対象だ。3号は、都市計画区域や準都市計画区域などの区域内で建築する場合だけ。区域の外にある平屋の小屋までは、国はいちいち見ないということだ」
「あれ? 木造3階建てとか、木造500㎡とか、そういう数字を古い過去問で見た気がするんですけど」
「それが旧区分だ。かつては木造と非木造で基準が分かれていて、木造2階建ての住宅のような小さな建物は『4号建築物』と呼ばれ、確認の際に構造などの審査の大部分が省略されていた。いわゆる4号特例だ。近年の改正でこの区分は廃止され、木造・非木造の区別なく今の1号〜3号に一本化された。審査省略の対象も平屋かつ200㎡以下(新3号)に縮小されて、木造2階建ての家も構造関係の図書まできちんと審査されるようになった」
「うちの実家、木造2階建てですけど……昔は構造をほとんど審査されずに建ってたってことですか?」
「制度上はそうなる。だから中古住宅の耐震性が長年の課題になってきた。改正はその反省でもある」
「用途変更? 建てるときだけじゃないんですか」
「事務所ビルを買って、中身だけ改装して300㎡の飲食店にする——建築工事らしい工事がなくても、これにも確認が要る。飲食店は特殊建築物だからだ。ただし、ホテルを旅館にするような類似の用途への変更なら不要になる」
「手続は一本の線で覚えろ。建築主が、役所の建築主事等か民間の指定確認検査機関に申請して、確認済証の交付を受けてから着工する。工事が終わったら、完了した日から4日以内に届くように完了検査を申請し、検査に通れば検査済証——お前が持っているその紙だ。しかも1号・2号の建物は、原則として検査済証の交付を受けるまで使用できない。例外は、特定行政庁などの仮使用の認定を受けたときと、完了検査の申請が受理されてから7日を過ぎたとき。これらを無視して建てれば、特定行政庁から工事の停止や取り壊しを命じられることもある」
建物そのものに効くルール
「ところで、確認って図面の何を審査してるんですか」
「中身は大きく二つある。敷地と街との関係を整える集団規定——これは次回、実際に街を歩きながらやる。もう一つが、建物単体の安全と衛生を守る単体規定だ。こちらは街づくりと関係ない話だから、都市計画区域の内外を問わず全国一律で適用される」
ヴィクトルは代表例を手帳に並べた。
- **石綿(アスベスト)**を添加した建材は使用禁止
- シックハウス対策としてクロルピリホスは使用禁止。ホルムアルデヒドを発散する建材は等級に応じて使用面積が制限され、居室には原則として24時間換気できる機械換気設備を設ける
- 住宅の居室には、採光のための開口部を床面積の7分の1以上(照明設備の設置などで10分の1まで緩和可)、換気のための開口部を20分の1以上設ける
- 地階に住宅の居室を設けることも、防湿措置などの基準を満たせば可能(「地下に寝室は作れない」は誤り)
「最後にもう一つ。法律の最低基準の上に、住民が自分たちで上乗せのルールを作る建築協定という仕組みがある。『この分譲地は全戸2階建てまで』のような約束を、土地の所有者等の全員の合意で結び、特定行政庁の認可を受ける。変更も全員の合意が要るが、廃止は過半数でいい。分譲業者が売り出す前に一人で定めておく一人協定も認められている」
四つの関門で腕試し
「仕上げだ。要る・要らないを即答しろ」。ヴィクトルは手帳に設例を四つ書いた。
「一、都市計画区域外に、木造平屋・延べ面積150㎡の住宅を新築する」
「特殊建築物じゃなくて、平屋で200㎡以下だから1号にも2号にも当たらない。区域の外だから3号の出番もない。——確認不要です」
「二、防火地域・準防火地域の外で、住宅に9㎡の物置を増築する」
「10㎡以内の増築で、防火・準防火の外。不要です」
「三、同じ9㎡の物置を、準防火地域内で増築する」
「さっき引っかかったやつ! 地域内だから、10㎡以内でも必要です」
「四、300㎡の事務所ビルを、工事をせずに飲食店に用途変更する」
「200㎡超の特殊建築物への用途変更だから、必要です」
「全問正解だ」。ヴィクトルは手帳を閉じた。「次は確認の中身、集団規定に入る。その土地に何を建てられて、どれだけの大きさまで許されるのか——今度は喫茶店じゃなく、街を歩きながらだ」
エマは検査済証をファイルの一番上のポケットに移した。ただの古い紙だと思っていた一枚が、今日からは物件の価値を支えるゴールテープに見えた。
まとめ
- 建築確認は「建てる前の図面審査」。1号(200㎡超の特殊建築物)・2号(階数2以上または延べ面積200㎡超)は全国どこでも、建築に加え大規模の修繕・模様替も対象。3号(平屋かつ200㎡以下)は都市計画区域等内の建築のみ
- 直近の改正で旧4号建築物は廃止され、審査省略(旧4号特例)の対象は平屋かつ200㎡以下に縮小された
- 防火・準防火地域外の10㎡以内の増築・改築・移転だけは確認不要。地域内なら面積を問わず必要で、新築に例外はない
- 200㎡超の特殊建築物への用途変更も確認が必要(類似用途間は不要)
- 工事完了から4日以内に到達するよう完了検査を申請し、検査済証の交付を受ける。1号・2号は交付前の使用が原則禁止。単体規定(石綿・シックハウス・採光・換気など)は全国一律
確認クイズ
1 / 5
次の行為のうち、建築確認が必要なものはどれ?