数字と本番

第8章

試験当日

50問の時間配分と戦略、そして合格発表の日。シリーズ完結

前夜の棚卸し

試験前日の夜、オルゴールの奥の席には、エマのノートが積み上がっていた。

一冊目は数字のノート。利回り、返済、出口戦略。二冊目と三冊目は民法——契約、物権、借地借家、相続。四冊目と五冊目は宅建業法、六冊目は法令上の制限、そして七冊目が、この二ヶ月の税と免除科目だ。どれもページの端が膨らんで、最初の一冊は表紙が取れかかっている。

「過去問十二年分、三周終わりました。統計も、先週教わったとおり、最新の方向だけ昨日確認してきました」

「上出来」ハンナがコーヒーを片手に早口で言った。「じゃあ最後の仕上げ。明日の戦い方を決めるよ」

「戦い方? 五十問を前から順に、丁寧に解くだけじゃ……」

「それがいちばん危ない。——でもその前に、ひとつ確認。エマさん、何点取れば受かると思ってる?」

「えっと、七割の三十五点、ですよね。過去問ではもう七割を切らなくなったので、正直、少し安心して……」

「その安心、今夜のうちに捨てて」

合格点は、誰も知らない

「宅建は、合格点があらかじめ決まっている試験じゃないの」とハンナは言った。「受験者全体の出来ぐあいに応じて、合格ラインが毎年動く——相対評価の試験。例年おおむね七割強のあたりに落ち着くけど、『何点取れば必ず受かる』と試験前に言える年は、一度もない」

「じゃあ、七割ちょうどを狙う勉強は……」

「半分、落ちにいくようなもの。だから目標は、上積みまで込みで設計しておく。書いてみて」

エマはノートの新しいページに、ハンナと一緒に「戦略票」を作った。

「合計四十一点。満点は狙わない。九点は最初から捨てていいと決めておく。そのかわり、取ると決めた四十一点は、一点も落とさず取りにいく」

「五問免除の人たちは、この最後の五問を解かずに済むのよね……」エマは小さくため息をついた。登録講習を修了した人は問46から問50が免除され、試験時間も少し短い。一般受験のエマは、五十問すべてと二時間まるごとを戦う。

「その分、私たちはこの二章で仕込んだでしょ。免除の五問は、一般受験生の穴場だから」

二時間の設計図

「結論から言う。試験は当日の実力じゃない。前日までの設計で決まる」ヴィクトルが静かに言った。「五十問を二時間。一問あたり二・四分しかない。だから、解く順序と時間の使い方を、いま決めておく」

「順序? 問1から解いちゃだめなんですか」

「問題冊子の最初は権利関係だ。つまり、いちばん難しく、いちばん時間を食う科目が先頭に置かれている。真正面からぶつかると、序盤で時間と心を削られる。解く順序は自由だ。マークシートの行さえ間違えなければ、どこから解いてもいい」

「それから、実力と関係なく点を落とす事故が二つある」とヴィクトルは指を二本立てた。「読み違いと、マークずれだ」

「持ち物は受験票、鉛筆と消しゴム、それに腕時計。会場に時計がないことは珍しくない。マークは薄いと機械に読まれない恐れがある。濃く、はっきり塗る。——以上だ。今夜はもうノートを開くな。寝ろ」

帰り際、ハンナが付け加えた。「明日の会場でね、周りの人がみんな賢く見えるから。でも合格ラインは相対評価。あなたがこの一年やってきた量を、隣の人がやってきたとは限らない」

二時間の海

十月の日曜日。試験会場の教室で、エマは受験番号の貼られた机についた。周りの受験生が、たしかに全員、自分より賢く見えた。

午後一時、開始の合図。エマは深呼吸をひとつして、問題冊子を後ろへめくり、宅建業法から解き始めた。ハンナの声が聞こえる気がした。試験ではここがひっかけになる——重説、37条書面、8種制限。ペンが止まらない。二十問を終えて時計を見ると、設計どおりの時間だった。

法令、税、免除科目と進み、最後に権利関係へ。三問目で、見たこともない判例の組合せ問題にぶつかった。二分考えて、手がかりなし。捨て問の印を付けて飛ばす。「深追いしない」——自分の戦略票のとおりに。

残り二十分。見直しに入ったエマの背中が、すっと冷えた。飛ばしたはずの問題の行を空けずに、次の答えを詰めてマークしていた。そこから先、権利関係の答えが一行ずつ、ずれている。

指差しで一行ずつ照合し、消しゴムをかけ、塗り直す。終了の合図の五分前、最後のマークを塗り終えた。十問ごとに確認しろと言われていたのに、権利関係に入ってから確認を忘れていた。見直しの時間を残す設計が、エマを救った。

十二月の番号

その日の夜、オルゴール。各校の解答速報を前に、エマは震える手で自己採点をした。結果は、戦略票の四十一点にわずかに届かず——それでも、例年の合格ラインといわれる水準は超えていた。

「受かった、と思っていいんでしょうか」

「結論から言う。誰にも分からない」ヴィクトルは正直だった。「合格点は毎年動く。発表の日まで、確かなことは何もない。——だが、君は設計どおりに戦った。それは確かだ」

十二月の発表の朝。エマは画面の合格者の受験番号を、上から順に、一つずつ指でなぞった。

あった。

何度も見比べた。受験票と画面を、三回。番号は、そこにあった。気づいたら、オルゴールに向かって走っていた。

免許皆伝の始まり

年が明けて、実務経験のないエマは登録実務講習を修了し、資格登録を経て、宅建士証の交付を受けた。顔写真入りの一枚のカード。いつかヴィクトルがこのテーブルに置いたものと、同じカードだ。

そして春、エマはあの不動産会社の応接室に、もう一度座っていた。一昨年に見送った中古アパートが、再び売りに出ていたのだ。

法務局で取った登記事項証明書は、今度は自分で読めた。乙区には、まだ売主の抵当権が残っている。「決済と同時に抹消登記をすること、その旨を契約書に明記してください。所有権の移転と引換えです」。契約書の違約金条項には、手付解除との関係を尋ねた。担当の宅建士が姿勢を正し、条項は修正された。あの日、言葉にできなかった違和感の一つひとつに、いまは名前がある。

「契約してきました。今度は、全部読めました」

オルゴールの奥の席で、ヴィクトルは頷き、いつもの調子で言った。

「結論から言う。合格はゴールじゃない、免許皆伝の始まりだ」

エマは七冊のノートの最後のページに、三行だけ書き足した。

数字を学んで、物件を測れるようになった。契約を学んで、署名の前に立ち止まれるようになった。法律を学んで、取引の全体を——人も、街も、税金も——自分の目で読めるようになった。

「大家二年目。二戸目。ここからが本番です」

まとめ

確認クイズ

1 / 5

50問・2時間の宅建試験の戦い方として、最も適切なものはどれ?