契約を守る砦

第5章

買主を守る八つの盾

業者が自ら売主のときだけ働く8種制限。手付の額、手付金等の保全措置、担保責任特約の制限

モデルルームの偵察

日曜日の午後、エマはハンナと並んで、新築マンションのモデルルームのソファに座っていた。

「勉強のつもりで見ておくといいわよ。業者が自ら売主になる取引の、生きた見本だから」

来春完成予定のファミリータイプで、価格は4,000万円。営業担当が席を外した隙に、エマはテーブルの「お支払いの流れ」をノートに写した。契約時に手付金400万円、上棟時に中間金400万円、残金は引渡し時——。

「ハンナさん、建物はまだ基礎工事中ですよね。影も形もないものに、引渡しの前に合計800万円も払うんですか? もし完成前にこの会社が倒産したら、このお金はどうなるんです?」

「いい着眼点。それが今日のテーマ」ハンナは声を落として笑った。「クーリングオフはヴィクトルさんに教わったんでしょう? あれは宅建業法が買主のために用意した『八つの盾』の1枚目。今日は残りの7枚をまとめて見せてあげる」

契約は自由のはずなのに

帰りに寄ったオルゴールで、エマはノートを開いた。思い出していたのは、宅建の勉強を始めるきっかけになった日のことだ。2戸目に検討したアパートの契約書ドラフトで、やけに重い違約金条項を見つけて、怖くなって契約を踏みとどまった。あのときは「なんとなく変だ」としか言えなかった。

「でも、考えるほどわからなくなるんです。民法では、契約の内容は当事者が自由に決められるって学びました。特約も、双方が納得してハンコを押したなら原則有効だって。だったら、違約金を代金の3割にする特約も、有効なんじゃないですか?」

「民法だけの世界ならね」ハンナは即答した。「でも現実を見て。百戦錬磨の宅建業者と、一生に一度の買い物をする素人。情報量も交渉力もまるで違う。素人は『そういうものか』と押し切られる。だから宅建業法は、宅建業者が自ら売主になり、買主が宅建業者でない取引に限って、契約の自由に八か所だけ鍵をかけた。それが8種制限」

「クーリングオフのときも『自ら売主で、買主が業者じゃないときだけ』という条件がありましたね」

「そう、8つ全部に共通の入口よ。業者同士ならプロ対プロで対等だから、8種制限はまるごと適用されない」

「全部無効」の早とちり

「じゃあ、違約金3割の特約は無効! 私はあのとき正しかったんだ!」

エマが勢いよく言うと、ハンナは人差し指を振った。

「半分だけ正解。債務不履行による解除に伴う損害賠償額の予定と違約金は、合算して代金の10分の2まで。3割と定めても、特約がまるごと消えるんじゃなくて、10分の2を超える部分だけが無効になる。4,000万円の物件なら、1,200万円の定めは800万円に切り詰められて生き残るの」

「えっ、じゃあ逆に、損害賠償の予定を何も定めていなかった場合はどうなるんですか?」

「民法の原則に戻る。実際に生じた損害を立証すれば、2割を超えても請求できる。10分の2はあくまで『あらかじめ定める場合』の上限。ここは試験で何度も擦られているひっかけよ」

紙ナプキンの八つの盾

ハンナは紙ナプキンに盾の絵を八つ描き、番号を振った。

「全体像から。①クーリングオフ、②損害賠償額の予定等の制限、③手付の額の制限、④手付金等の保全措置、⑤他人物売買の制限、⑥担保責任特約の制限、⑦⑧が割賦販売系。②はいま話したから、③から行くわよ」

手付は二段構えの規制だという。まず額は代金の10分の2まで。そして受け取った手付は、名目や性質がどうであれ常に解約手付として扱われる。相手方が契約の履行に着手するまでは、買主は手付を放棄して、売主の業者は倍額を現実に提供して、契約を解除できる。これより買主に不利な特約は無効だ。

「あのアパートで怖かった違約金条項と、手付放棄の解除は、別のレーンだったんですね。手付解除は履行着手前なら使える正規の出口で、違約金は債務不履行を起こしたときの話」

「その整理ができれば十分。④の手付金等の保全措置は、モデルルームでのあなたの質問の答えよ」

「手付金等」とは、契約締結の日以後・引渡しの前に支払われる、代金に充当される金銭のこと。手付金でも中間金でも、名目は問わない。業者は原則として、銀行等との保証委託契約や保険会社の保証保険といった保全措置を講じた後でなければ受領できない。例外は少額の場合で、未完成物件は代金の5%以下かつ1,000万円以下完成物件は10%以下かつ1,000万円以下なら保全なしで受け取れる。買主への所有権移転登記が済んだ場合も不要になる。

「もし業者が保全措置を講じないまま『払ってください』と言ってきたら?」

「買主は支払いを拒める。拒んでも債務不履行にはならない。次、⑤の他人物売買。民法では他人の物を売る契約も有効と学んだはずだけど、業法では、業者が自ら売主になる他人物売買は原則禁止。例外は二つ。その物件を取得する契約(予約を含む)をすでに締結している場合——ただし停止条件付きの契約・予約は認められない。条件が成就しなければ買主に引き渡せないから。もう一つは、未完成物件で手付金等の保全措置が講じられている場合よ」

「⑥の担保責任の特約は? 契約不適合責任って、特約で軽くできるんですよね」

「民法ではね。業法では、民法より買主に不利な特約は原則無効。ただ一つだけ例外がある。不適合を通知すべき期間を**『引渡しの日から2年以上』とする特約だけは有効**。民法の原則は『買主が不適合を知った時から1年以内に通知』——知るのが10年後なら、責任も10年後まで追いかけてくる。それでは業者の商売の計算が立たないから、引渡しから2年で線を引くことだけ認めたの」

「⑦と⑧は割賦販売、つまり分割払いの売買ね。賦払金の支払いが遅れても、30日以上の期間を定めて書面で催告しないと契約を解除できない、というのと、代金の10分の3を超える支払いを受けたら原則として所有権留保——登記を渡さずにおくこと——ができない、というもの。出題は薄めだから、数字だけ持って帰って」

パンフレットを検算する

エマはモデルルームでもらった書類を広げ、ノートで検算を始めた。

「代金4,000万円の未完成物件。手付金400万円は代金の10%だから、手付の額としては10分の2以内でセーフ。でも未完成の保全ラインは5%、つまり200万円。400万円はそれを超えるから、受領前に保全措置が必要——あ、ここに書いてある。『手付金等は銀行との保証委託契約により保全措置を講じます』」

「そういうこと。上棟時に中間金400万円を受け取る時点では、すでに受領した分と合算した800万円の全額が保全の対象になる。ちゃんとした業者は、聞かれる前に書面に書いてあるものよ」

「契約条件の欄は……『契約不適合責任の通知期間は引渡しから2年間』。例外として認められる最短ラインぴったりですね」

「合格。ひと月前のあなたなら、この紙を一行も疑わずに読み流していたでしょうね」

エマはノートに描き写した八つの盾に、数字をひとつずつ書き込んだ。倒産したらどうなるのか——営業担当に聞けなかった質問の答えは、もう自分の手元にあった。

「ところで」ハンナが伝票を取りながら言った。「あなた、1戸目のワンルームで仲介手数料を払ったわよね。あの金額、自分で検算したことある? 次は、私たち仲介業者がもらうお金のからくりを教えてあげる」

まとめ

確認クイズ

1 / 5

宅建業者Aが自ら売主として、宅建業者でないBと代金4,000万円のマンション売買契約を締結する。債務不履行による解除に伴う損害賠償額の予定・違約金に関する記述で正しいものはどれ?