プロを縛るルール

第8章

広告と勧誘の一線

おとり広告と誇大広告の禁止、広告・契約の時期制限の非対称、取引態様の明示、勧誘の禁止行為

相場より二割安い「駅徒歩5分」

土曜の午後、ハンナの会社の商談室。エマはスマホの画面をハンナのほうへ滑らせた。

「見てください、この賃貸。駅徒歩5分、築浅で、この家賃。相場より二割は安いんです。うちのワンルームと同じ駅だから、こんな部屋が出回ってるなら家賃設定を見直さなきゃと思って、問い合わせようかと」

ハンナは画面を三秒ほど眺めて、あっさり言った。

「エマさん、それ、たぶんおとり広告。問い合わせても、その部屋は借りられないと思う」

「えっ。でも、写真も間取りもちゃんと載ってますよ?」

「載っていることと、実際に取引できることは別。相場とかけ離れた好条件で客を釣って、問い合わせてきた人には『その物件はちょうど申し込みが入りまして』と言って別の物件を案内する。広告そのものが撒き餌なの。宅建業法が正面から禁止している行為よ」

先週、エマはこの商談室で媒介契約の三つの類型を教わったばかりだった。専任媒介、レインズへの登録、業務処理状況の報告。「媒介契約を結んだら、次は売り出し。つまり広告の話をしましょう」——ハンナは先週の別れ際、そう予告していたのだ。

「広告って、多少は盛るものだと思ってました。どこからが違反なんですか?」

「いい質問。業法は広告と勧誘に何重にも網をかけてる。今日はその一線を全部見ていくよ」

広告にかかる三つの網

ハンナはホワイトボードに大きく三つ、書き出した。

「一つ目、誇大広告等の禁止。物件の所在・規模・形質、環境や交通などの利便、現在や将来の利用の制限、代金や借賃といった対価について、著しく事実に相違する表示や、実際よりも著しく優良・有利だと誤認させる表示をしてはいけない。さっきのおとり広告——取引する意思のない物件や存在しない物件の広告も、ここに引っかかる」

「でも、誰もだまされなかったら? 問い合わせた人が全員、途中で気づいてやめたら実害はないですよね。それならセーフじゃ……」

「アウト。誤認させるような表示をした時点で違反。実際にだまされた人や損害を受けた人がいなくても、監督処分の対象になるし、罰則もある。結果オーライが通じないのが広告規制の特徴」

エマはノートに「実害不要・表示した時点でアウト」と書きつけた。

「二つ目が広告開始時期の制限。造成前の宅地や、建築前・建築中の建物みたいな未完成物件は、開発許可や建築確認といった処分の後でなければ、一切広告できない

「建築確認って、建物を建てる前に受ける審査でしたよね。じゃあ『建築確認申請中』って正直に書けばいいんじゃないですか?」

「それでもダメ。申請中はまだ確認が下りていないんだから、正直に書こうが違反は違反。売買の広告はもちろん、貸借の広告——入居者の募集もダメ。広告は取引の種類を問わず全部禁止、と覚えて」

「三つ目が取引態様の明示。その業者が自ら売主なのか、代理なのか、媒介なのか。広告をするときに明示して、さらに注文を受けたときにも遅滞なく明らかにする。広告に書いてあっても、注文が来たらもう一回。広告を何度も打つなら、そのたび毎回」

「なんでそんなに何度も?」

「立場によってお客さんの払うお金が変わるから。媒介や代理なら報酬が発生するし、自ら売主なら発生しない。相手がどの立場で関わるのかは、値段と同じくらい大事な情報なの」

「手付金は分割でいいですよ」の正体

「広告のほかに、勧誘や業務の場面での禁止行為のリストもある」とハンナは続けた。「エマさんが買う側だとして。営業マンに『手付金、今すぐは用意できないんですか? じゃあ分割でいいですよ』と言われたら、どう思う?」

「親切なサービスだなって思います。手付金って高いから、分割にしてくれるなら助かるじゃないですか」

「それ、業法違反の勧誘。手付について貸付けその他信用の供与をすることで契約の締結を誘引する行為は禁止されてる。手付を貸すのはもちろん、分割にするのも後払いにするのも、全部『信用の供与』。手付のハードルを下げて、本当は支払い能力が足りない人まで契約に引きずり込むことになるから」

「親切どころか、引きずり込む道具……。えっ、じゃあ『手付金を値引きします』の場合はどうなるんですか?」

「それは違反じゃない。減額は支払いを先送りにしていないから、信用の供与に当たらない。試験ではここが執拗に狙われるよ」

「禁止行為はほかにもある。『この物件は将来確実に値上がりします』のような断定的判断の提供。相手を威迫すること——恐怖させるまでいかなくても、不安の念を生じさせれば該当する。勧誘に先立って業者名・担当者名・勧誘目的を告げないこと。断られたのに勧誘を続けること。迷惑を覚えさせるような時刻の電話や訪問——実務の目安は夜9時から朝8時。申込みの撤回のときに預り金の返還を拒むこと。手付放棄による解除を、正当な理由なく拒んだり妨げたりすること。全部アウト」

「解除を『妨げる』のもダメなんですね」

「そう。エマさんが宅建を志すきっかけになった、あの手付放棄での解除。あの権利を業者が実力で握りつぶすのを禁じているの。あとひとつ、守秘義務。業務上知った秘密は、正当な理由がなければ漏らしてはいけない。これは廃業した後も続く

広告はダメなのに、契約はいい?

「さっきの広告開始時期の制限には」とハンナはホワイトボードを指した。「双子の規制がもうひとつある。契約締結時期の制限。未完成物件は、建築確認や開発許可などの前には売買・交換の契約もできない。自ら売主になるのも、媒介や代理でまとめるのも全部ダメ」

「広告と同じですね。……あれ? じゃあ貸借の場合はどうなるんですか?」

「気づいたね。そこが本試験でいちばん狙われる非対称。契約のほうは、貸借の媒介・代理なら制限がない。建築確認前のマンションでも、貸借の媒介で賃貸借契約を成立させるのは違反じゃない。なのに、その部屋の入居者募集の広告を出すのは違反

「ええっ、広告はダメなのに契約はいいんですか? 逆ならまだ分かるけど……」

「広告は不特定多数に無差別にばらまかれるから、入口で厳しく縛る。契約の時期制限のほうは、未完成のまま取引すると被害が大きい売買・交換だけを狙い撃ちにした規制なの。ノートに表を書いてみて」

エマはノートに小さな表を描いた。未完成物件——広告は、売買も貸借も×。契約は、売買×・交換×、貸借の媒介・代理だけ○。

過去問の景色が変わる

「じゃあ腕試し」とハンナはマーカーを置いた。「宅建業者Aは、建築確認の申請中である賃貸マンションについて、貸主から媒介の依頼を受け、借主の募集広告を行った。違反する?」

「広告は……貸借でもダメ。建築確認の前だから、違反です」

「正解。では同じマンションについて、Aが広告はせずに、借主候補との間で貸借の媒介を行い、賃貸借契約を成立させた。違反する?」

「契約は、貸借の媒介なら制限なし。違反しません!」

「完璧。この二問、字面はそっくりなのに答えが逆になる。ここまで見抜ければ、広告の分野は丸ごと得点源よ」

エマはふと、最初のおとり広告のことを思い出した。

「あの駅徒歩5分の物件、もし問い合わせていたらどうなってたんでしょう」

「十中八九、『ちょうど今朝申し込みが入りまして』と言われて、相場どおりの別物件に案内されて終わり。見抜くコツは、相場からの不自然な乖離と、いつまでも掲載され続けていること。……さて、エマさん。この巻で見てきたのは、免許、宅建士、保証金、事務所、媒介契約、そして今日の広告と勧誘。ここまでは、いわばプロを縛る仕組みの話。次からは、取引そのものを守る規制に入る。業法の主役——重要事項説明よ」

エマはノートの新しいページに「重要事項説明」と書き、大きく丸で囲んだ。宅建業法20問を満点科目にする——ハンナの宣言が、少しずつ現実の輪郭を帯び始めていた。

まとめ

確認クイズ

1 / 5

宅建業者Aが、建築確認を受ける前の未完成マンションについて行う次の行為のうち、宅建業法に違反しないものはどれ?