プロを縛るルール

第1章

「宅建業」の境界線

宅地・建物・取引・業とは何か。免許がいる行為、いらない行為

名刺の七文字

オルゴールの奥の席に着くなり、エマはノートを開いて、先週の模擬試験の成績表をテーブルに置いた。権利関係、十四問中十問。三ヶ月かけて民法と借地借家法と相続を積み上げて、それでも四問落とした。悔しさがまだ胸に残っている。

「結論から言う。今日から、もう一人先生をつける」

ヴィクトルがそう言った直後、ドアベルが鳴って、スーツ姿の女性が早足で店に入ってきた。まっすぐこちらの席へ来て、立ったまま名刺を差し出す。

「ハンナです。駅前の不動産会社に勤めてます。ヴィクトルさんの物件の管理をうちでやってる縁で。——成績表、見せてもらっていい?」

言葉の途中でもう成績表をのぞき込んでいる。せっかちな人だ、とエマは思った。名刺には、会社名の下に小さく「宅地建物取引士」と刷られている。七文字の資格の名前。エマが十月に取ろうとしている、その資格だ。

「権利関係で十問なら上出来。あそこは満点を取る科目じゃないの。でもね」ハンナは成績表の下半分、まだ白紙の欄を指で叩いた。「私が教える宅建業法は違う。二十問出て、満点を狙う科目。実務では毎日使うルールだし、試験では点の稼ぎどころ。ここを取りこぼす人は受からない」

「私、無免許営業ですか?」

「じゃあ最初の質問。エマさん、宅建業法って、何をする人を縛る法律だと思う?」

「えっと……不動産の仕事をする人、ですよね。宅建業者さん」

「その『不動産の仕事』の中身が今日のテーマ。免許が要る仕事と、要らない仕事の境界線。——ところでエマさん、ワンルームを一戸持ってて、人に貸してるのよね?」

「はい。家賃をいただいてます」

「それ、宅建業かしら?」

エマは口を開きかけて、止まった。不動産を貸して、お金をもらっている。継続的に。もしそれが宅建業なら——免許なんて持っていない。

「……私、無免許営業してるんですか!?」

血の気が引いた。契約書の違和感に気づいて宅建を志したのに、自分が法律違反をしていたなんて。だがハンナは笑って、コーヒーを注文してから言った。

「うん、そう思うわよね。じゃあ、もしそれが正解なら、日本中の大家さんは全員無免許営業よ。アパートを百棟持ってる地主さんも、実家の空き部屋を貸してるおばあさんも、みんな逮捕」

「……それは、さすがに変です」

「変でしょ。答えを言うと、エマさんの大家業に免許は要らない。今日のゴールは、その『なぜ』を条文の言葉で説明できるようになること」

「取引」の表からはみ出る一マス

「宅建業っていうのは、宅地建物取引として行うこと。この三つの言葉に、ぜんぶ定義があるの」ハンナはエマのノートを勝手にめくって、白いページに書き始めた。

「まず宅地。建物の敷地に供せられる土地のこと。ポイントは、いま建物が建っているかどうかじゃなくて、建物を建てる目的で取引されるかどうか。登記上の地目が山林でも、家を建てる目的で売買されるなら宅地。それから、都市計画法の用途地域の中にある土地は、道路・公園・河川みたいな公共施設の用地を除いて、ぜんぶ宅地扱い。青空駐車場でも資材置き場でも」

「次が取引。ここが今日の主役」ハンナはノートに表を描いた。縦に「自ら当事者」「代理」「媒介」、横に「売買」「交換」「貸借」。九つのマス。

「自ら売買する、自ら交換する。これは取引。他人の売買・交換・貸借を代理する、媒介する。これも全部取引。でも一マスだけ、取引に当たらない空白がある」

エマは表を見つめた。埋まっていないのは——自ら当事者の、貸借。

自ら貸借。自分の物件を自分で貸すことだけは、宅建業法の『取引』に当たらない。だから大家業は、何棟持ってようが、免許不要」

「私が抜けてたのは、この一マスだったんですね。……でも、どうして貸すのだけ除くんですか?」

「いい質問。自ら貸す人は、契約の当事者として自分で責任を負う立場でしょ。借主との関係は、エマさんが前の巻で勉強した借地借家法がしっかり守ってる。宅建業法が縛りたいのは、他人の取引に絡んで手数料を取るプロと、自分の物件を不特定多数に売りさばくプロ。素人のお客さんが騙されやすい場面に網を張る法律なの。だから、借りた建物をまた貸しする転貸——サブリースも『自ら貸借』で、免許は要らない」

「三つ目が不特定多数の人を相手に、反復継続して行うこと。友人ひとりに自宅を売るだけなら業じゃない。でも、自分の土地を十区画に分けて、広告を出して誰にでも売るなら、自ら売買を反復継続——立派な業。免許が要る」

「あと、そもそも免許が要らない人たちもいるの。国と地方公共団体には、宅建業法そのものが適用されない。それから信託会社や信託銀行は、免許の規定だけが適用除外。国土交通大臣に届出をすれば営業できて、それ以外のルールは業者とみなして適用される。ここは『全部除外』か『免許の部分だけ除外』かの違いで聞かれる」

免許はどこまで効くのか

「じゃあ、免許が要る側の話。免許を受けずに宅建業を営むのは当然禁止。それだけじゃなくて、『宅建業やってます』という表示や広告をするだけでも違反。それから、免許を持ってる業者が、自分の名義で他人に営業させる名義貸しも禁止。名義を貸して表示や広告をさせるだけでもアウト」

「免許って、誰がくれるんですか?」

「事務所の置き方で決まるの。一つの都道府県の中にだけ事務所を置くなら、その知事の免許二つ以上の都道府県に事務所を置くなら、国土交通大臣の免許。それだけ」

「じゃあ、知事免許の会社は、その県の中でしか営業できないんですね」

「はい、ひっかかった」ハンナはにやりとした。「免許の種類を決めるのは事務所がどこにあるかだけ。営業エリアは、知事免許でも大臣免許でも全国。甲県知事免許の会社が、乙県の物件を媒介しても何の問題もない。試験で最初に狙われる誤解よ」

エマはノートに「事務所の場所で決まる/営業は全国」と大きく書いた。早合点の癖は、まだ抜けない。

「有効期間は五年。続けたければ更新で、申請できるのは有効期間満了の日の九十日前から三十日前まで。期間内にちゃんと申請したのに、満了日までにお役所の処分が間に合わないときは、処分が出るまで前の免許が生きててくれる。実務では更新書類の準備を三ヶ月前から始めるわね」

手帳の三つの設例

「仕上げに、過去問風のクイズ。実務ではこうやる、より先に、試験ではこう聞かれる、を体で覚えて」ハンナは手帳を破って三つの設例を書いた。

設例一。Aは、自ら所有するアパート二十棟を、不特定多数の入居希望者に反復継続して賃貸している。免許は必要か。

「必要……ないです。規模が大きくても、自ら貸借は取引に当たらないから」

設例二。Bは、自分の土地を十区画に分けて、不特定多数に反復継続して売却しようとしている。免許は必要か。

「自ら売買を、業として……必要です!」

設例三。甲県知事免許のC社が、乙県内の宅地の売買の媒介をしたい。何か手続きは要るか。

「要りません。営業エリアは全国だから、甲県知事免許のままでいい」

「全問正解。——ただし設例三、C社が乙県に事務所を新しく出すなら話は別。事務所が二つの都道府県にまたがるから、大臣免許に切り替えないといけない。その手続きの話と、そもそも免許をもらえない人のリスト——欠格事由っていうんだけど、それが次回。試験問題の宝庫よ」

エマはノートの九マスの表を眺めた。三ヶ月前は、契約書の違約金条項に青ざめることしかできなかった。今日は、自分の大家業がなぜ合法なのかを、条文の言葉で説明できる。満点を狙う科目の、最初の一ページが埋まった。

まとめ

確認クイズ

1 / 5

次のうち、宅地建物取引業の免許が必要なものはどれ?