三枚並んだ契約書
ハンナの会社の商談室で、エマは壁の標識と報酬額表をもう一度見上げていた。前回この事務所で「置くべきもの」を探し当てたばかりだ。掲示物は覚えた。でも、あれは業者側の話。今日は何を教わるんだろう。
「今日はね、エマさんにお客さんになってもらう」ハンナはそう言って、テーブルに三枚の書式をトランプのように並べた。「模擬・売却相談。エマさんのワンルームを、うちに売却依頼する場面をやってみよう」
売る——。エマの胸が少しざわついた。ヴィクトルに最初のころ教わったことのひとつが「買う前に出口を考えろ」だった。一戸目を買ったとき、いつか売る日のことをノートの隅に書いた。それが模擬とはいえ、目の前に来ている。
三枚の書式には、それぞれ違う名前が印刷されていた。一般媒介契約。専任媒介契約。専属専任媒介契約。
「売るのをお願いする契約って、一種類じゃないんですか?」
「そこが今日の本題。この3つは、依頼者をどれだけ縛るかが違う」
ハンナは早口で三枚を指差していった。一般媒介は、複数の不動産会社に重ねて依頼できる契約。他にどの会社へ頼んだかを知らせる明示型と、知らせなくてよい非明示型がある。専任媒介は、依頼できる会社は1社だけ。ただし自分で買主を見つけて直接契約すること——自己発見取引——はできる。専属専任媒介は、1社限定に加えて自己発見取引も禁止。買主探しを丸ごとその会社に委ねる契約だ。
「ぜんぶ専属専任にすればいいのに」
エマは三枚を見比べて、すぐに結論を出した。
「これ、専属専任が一番手厚いってことですよね。1社に絞ってあげれば、その会社も本気で動いてくれる。だったら、みんな専属専任にすればいいのに」
「ふうん。じゃあ聞くけど」ハンナはにやりとした。「専属専任で契約した翌週、エマさんの職場の同僚が『その部屋、私が買いたい』って言ってきたら?」
「えっ、それはもちろん直接——あ」
エマは言葉に詰まった。自己発見取引は禁止。知っている相手に売るだけなのに、契約した会社を通さなければならず、当然その分の報酬も発生する。
「もうひとつ。もしうちが、契約だけ取ってぜんぜん動かないサボり業者だったら? 一般媒介なら依頼者は他社にも頼めるから競争が働く。でも専任や専属専任だと、逃げ場がない」
「……縛りが強いほど手厚いんじゃなくて、縛りが強いほど、依頼者は身動きが取れなくなるんですね」
「そう。だから宅建業法はバランスを取った。依頼者を強く縛る契約ほど、業者に重い義務を課す。これが今日の背骨。実務ではこの三枚をお客さんの事情で使い分ける。試験では、義務の中身の数字が繰り返し聞かれる」
縛るなら、義務を負え
ハンナはホワイトボードに線を引いた。専任媒介・専属専任媒介に課される規制は、大きく3つの束になる。
1つ目は有効期間。3ヶ月を超えることができず、それより長い期間を定めても3ヶ月に短縮される。「6ヶ月と書いたら契約ごと無効——じゃないところに注意。契約は生きて、期間だけが3ヶ月になる」。更新は依頼者の申出があるときだけ可能で、更新後もやはり3ヶ月が上限。「申出がなくても自動で更新する」という特約は業法に反するので無効だ。
2つ目は指定流通機構への登録。
「レインズって聞いたことある?」
「れいんず……? 初めて聞きました」
専任媒介は契約締結の日から7日以内、専属専任媒介は5日以内にレインズへ物件を登録しなければならない。しかもこの日数の計算には休業日を算入しない。登録したら、登録を証する書面を遅滞なく依頼者に引き渡す(依頼者の承諾を得れば電磁的方法でもよい)。売買契約が成立したときも、遅滞なくレインズに通知する。
3つ目は業務処理状況の報告。専任媒介は2週間に1回以上、専属専任媒介は1週間に1回以上、依頼者に処理状況を報告する義務がある。「報告のやり方は法律で決められていない。だから口頭でも電話でもメールでも違反にならない。試験は『書面で報告しなければならない』って引っかけてくるよ」
そして、類型を問わない共通の義務がひとつ。物件に購入の申込みがあったときは、遅滞なくその旨を依頼者に報告する。これは一般媒介も含めた全類型だ。
「じゃあ一般媒介には、3ヶ月とか2週間とかの縛りは……」
「ない。有効期間の上限も、レインズ登録も、定期報告も、法律上は課されていない。依頼者はいつでも他社に頼めるから、法律ががっちり守る必要が薄いという理屈」
エマはノートに三列の表を描いた。
| 一般 | 専任 | 専属専任 | |
|---|---|---|---|
| 他社へ重ねて依頼 | できる | できない | できない |
| 自己発見取引 | できる | できる | できない |
| 有効期間 | 法定制限なし | 3ヶ月以内 | 3ヶ月以内 |
| レインズ登録 | 義務なし | 7日以内 | 5日以内 |
| 定期報告 | 義務なし | 2週間に1回以上 | 1週間に1回以上 |
模擬・媒介契約書を埋める
「じゃあ本番。専任媒介でいってみよう」ハンナは一枚を引き寄せ、空欄を指でなぞった。「媒介契約を結んだ業者は、遅滞なく、決まった事項を記載した書面を作って記名押印し、依頼者に交付する義務がある。34条の2書面って呼ばれるやつ。依頼者の承諾を得れば電磁的方法での提供でもいい」
空欄はこう並んでいた。物件を特定するための表示。売買すべき価額。媒介契約の種類——他社へ重ねて依頼できるか、明示する義務はあるか。有効期間と解除に関する事項。レインズへの登録に関する事項。報酬に関する事項。契約に違反した場合の措置。そして、国土交通大臣が定める標準媒介契約約款に基づく契約か否かの別。
「価額のところは、査定してもらった金額を書くんですよね。もしハンナさんが『この希望価格は高すぎる』って意見を言うときは?」
「根拠を明らかにする義務がある。周辺の成約事例とか、査定の計算とかね。ただし根拠の示し方まで書面とは決められていないから、口頭でも構わない」
エマはふと、いま賃貸に出している自分の部屋のことを思った。
「あれ? 私、入居者の募集をお願いするときもありますけど……貸借の媒介でも、この書面を作るんですか?」
「いい質問! 34条の2書面が義務になるのは、売買と交換の媒介だけ。貸借の媒介には交付義務がない。ここは本試験の大定番ひっかけだよ」
仕上げに、ハンナが過去問風の設例を出した。「エマさんがうちと有効期間6ヶ月の専任媒介契約を結んだ。3ヶ月経ったころ、うちから『引き続きよろしくお願いします』と連絡して契約を自動更新した。——どこがおかしい?」
エマはノートの表を見ながら、ひとつずつ答えた。「まず、6ヶ月の定めは3ヶ月に短縮されます。契約自体は有効。それから、更新は依頼者……私の側から申し出ないとできないから、業者からの連絡で自動更新はできません」
「満点。その調子なら、本物の売却依頼もいつでも受けられるね」ハンナは三枚の書式を集めて笑った。「契約書ができたら、次は売り出し。つまり広告。広告には広告の、越えちゃいけない一線がある。それは次回」
まとめ
- 媒介契約は一般(重ねて依頼できる)・専任(1社のみ・自己発見取引は可)・専属専任(自己発見取引も不可)の3類型。縛りが強い契約ほど業者の義務が重い
- 専任・専属専任の有効期間は3ヶ月以内(超える定めは3ヶ月に短縮)。更新は依頼者の申出があるときのみで、自動更新特約は無効
- レインズ登録は専任7日以内・専属専任5日以内(休業日を除く)。定期報告は専任2週間に1回以上・専属専任1週間に1回以上(口頭でも可)。申込みがあった旨の報告は全類型で遅滞なく
- 34条の2書面は売買・交換の媒介のみ義務で、貸借の媒介には不要。価額に意見を述べるときは根拠を明らかにする(口頭可)
- 一般媒介には有効期間・レインズ登録・定期報告の法定規制がない
確認クイズ
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専任媒介契約(専属専任媒介契約ではないもの)に関する次の記述のうち、宅建業法の規定によれば誤っているものはどれ?