地図のない物件選び
利回りとキャッシュフローの物差しを手に入れたエマは、すっかり自信をつけていた。この日は、数字だけで選んだ「最有力候補」を持ってきた。
「これ、いいと思うんです。地方都市の中古アパートで、実質利回りを慎重に見積もっても6%。キャッシュフローもプラス。数字は前より読めるようになったので、ちゃんと計算しました」
ヴィクトルは資料を手に取ると、家賃や利回りの欄ではなく、住所と地図をじっと見た。
「この街、行ったことあるか」
「いえ、ネットで見ただけです。でも数字がいいので」
「数字はな、入居者がいて初めて成り立つんだ。**利回り6%は、部屋が埋まっていればの話。**空室になった瞬間、その部屋の利回りはゼロだ。お前さんは、その部屋を誰が借りるのかを、一度も考えていない」
数字が成り立つ前提を疑う
エマは黙り込んだ。たしかに、家賃がいくらで利回りが何%か、という「結果」の数字ばかり見て、その家賃を「誰が払い続けてくれるのか」を、まったく考えていなかった。
「試しに調べてみろ」とヴィクトルは言った。「その街の人口が、この十年で増えているか減っているか。近くに大学や工場みたいな、人を集める施設があるか。駅から物件まで、歩いて何分か」
エマはスマートフォンで調べ始めた。人口は、この十年で緩やかに減り続けている。近くにあった工場は、数年前に撤退していた。駅からは、徒歩十八分。
「……人が減っていて、仕事もなくなって、駅から遠い」
「その三つがそろって、実質利回り6%が成り立つと思うか。満室を前提にした6%だろう。でも、借りる人がいなければ、家賃は下げるしかない。下げても埋まらなければ、空室が続く。**高い利回りには、たいてい高い利回りでしか売れない理由がある。**利回りの高さは、ごほうびじゃなくて、警告のこともあるんだ」
物件の種類で、リスクの形が変わる
「そもそも、私はワンルームとアパートで迷ってますけど、種類によって何が違うんですか」
「いい質問だ。大きく分けて、区分・一棟・戸建ての三つがある。それぞれ、リスクの『形』が違う」
「区分は、部屋が一つだから、空室になったら収入はゼロだ。ゼロか満室か、両極端。管理は組合任せで楽だが、その一室が埋まるかどうかに、すべてがかかる。一棟なら、十部屋あって一つ空いても、収入が一割減るだけだ。空室リスクを部屋数で分散できる。そのかわり、値段は数千万から数億。大規模修繕が来れば、屋根や外壁で一気に数百万が飛ぶ」
「戸建ては?」
「一軒家を家族に貸すやつだな。家族はいったん住むと、子どもの学校の都合もあって、長く住んでくれる。入れ替わりが少ないぶん安定するんだ。ただ、古い戸建ては銀行がお金を貸したがらないから、現金で買うことが多い。リフォーム代の読み違いっていう別の落とし穴もある」
「戸建てって、なんだか地味だと思ってました。でも、長く住んでくれるのは魅力ですね」
「地味に見えて、堅実な人が好むやり方だ。中には、築四十年みたいなボロ戸建てを、土地値みたいな安値で買って、自分で直して貸す人もいる。安く買えるから、うまくいけば利回りは二桁になることもある。ただ、これは玄人の技だ。直すのにいくらかかるかを読み違えると、安く買ったつもりが、修理代で全部消える。しかも古い家には、再建築不可——いまの法律では建て替えられない、なんて落とし穴もある。その場合、将来売るのがぐっと難しくなる」
「同じ『戸建て』でも、新しめのを普通に貸すのと、ボロを直して貸すのとでは、まるで別物なんですね」
「そういうことだ。物件の種類の話は、突きつめると『どのリスクなら自分が引き受けられるか』の話になる」
エマは、それぞれに強みと弱みがあることに気づいた。ワンルームが「悪い」わけでも、一棟が「正解」なわけでもない。自分がどのリスクを引き受けられるか、という話なのだ。
現地に立つ
「わかった気がします。私、数字だけ見て、その裏にいる『借りる人』を見ていませんでした」
「そうだ。物件を買うってことは、その場所の未来に賭けるってことだ。だから、少なくとも一度は現地に立て。駅から歩いてみろ。夜も歩いてみろ。周りにスーパーがあるか、街灯はあるか、人が歩いているか。数字には出てこないものが、必ず見える」
エマは、例のワンルームのことを考えた。都心の駅から徒歩五分。人口も雇用も、地方のアパートよりずっと厚い。立地という物差しで見れば、あのワンルームは決して悪くない——むしろ、いい部類だ。ただ、値段が高く、利回りが低く、キャッシュフローがマイナスだった。立地は良いのに、数字が悪い。
「立地がいいのに数字が悪いって、どういうことなんでしょう」
「本質を突いてきたな。立地の良さは、みんなが欲しがるから値段に織り込まれて、利回りを下げる。逆に地方の高利回りは、立地の弱さの裏返しだ。**立地と利回りは、たいてい逆を向く。**その綱引きのどこで手を打つか——それが物件選びだ。そして次は、その低い利回りでも、営業が『節税になる』と言って売り込んでくる理由を暴く番だ」
まとめ
- 利回りは入居者がいて初めて成り立つ。空室になればその部屋の利回りはゼロ
- 家賃を「誰が払い続けるのか」を支えるのが立地(人口・雇用・駅からの距離)。立地は後から変えられない
- 高すぎる利回りは、ごほうびではなく弱点の警告であることが多い
- 物件種別でリスクの形が違う。区分=集中リスク・管理は楽、一棟=分散できるが修繕が重い、戸建て=長期安定だが融資が付きにくい
- 立地と利回りは逆を向きやすい。良い立地は値段が高く利回りが低い。どこで手を打つかが物件選び
確認クイズ
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実質利回り6%と計算された物件は、空室が出てもその6%が維持される