一杯の科学

第2章

挽き目と湯温

細かく挽けば濃くなる、はずだった。ノアは「出やすさ」という物差しを手に入れる

「濃くしたい」の落とし穴

翌日の開店前。マルコはミルを指さして言った。

「今日は挽き目からだ。昨日より濃い一杯を作ってみろ。ただし豆の量は変えるな」

豆の量を変えずに濃くする。ノアは少し考えて、ミルのダイヤルを一番細かい設定に回した。細かく砕けば、それだけ味が出るはずだ。粉はほとんど小麦粉のようになった。

結果は、惨敗だった。

湯がなかなか落ちない。ドリッパーの中で湯が滞留し、いつもの倍近い時間がかかった。ようやく落ちた一杯は、濃いというより渋い。舌の奥がぎゅっと締まるような、嫌な苦さだった。

「うわ……。細かくすれば濃くなると思ったのに」

「半分正解で、半分間違いだ」

「出やすさ」という物差し

マルコは角砂糖をふたつ、グラスの水に落とした。ひとつはそのまま、もうひとつはスプーンで砕いてから。

「どっちが速く溶ける?」

「砕いたほう、ですよね」

「そう。挽き目も同じだ。細かくするほど湯に触れる面積が増えて、味が出やすくなる。ここまではお前さんの読みどおり。問題は、出やすくなるのは旨い成分だけじゃないってことだ」

試しに、とマルコは今度は一番粗い設定で豆を挽き、同じ手順で一杯落とした。粗い粉は湯をすいすい通し、抽出はいつもより早く終わった。飲んでみると、すっきりして飲みやすいが、どこか物足りない。紅茶のように軽くて、コーヒーらしい厚みがない。

「粗すぎると、今度は出きらないうちに湯が通り抜けちまう。さっきのお前さんの一杯と逆方向の失敗だ。つまり挽き目ってのは、細かすぎても粗すぎてもダメで、ちょうどいい範囲を探す変数なんだ」

ノアは二つの失敗作を並べて、交互に口に含んでみた。渋い一杯と、薄い一杯。両極端を舌で知ってしまうと、真ん中にあるはずの「ちょうどいい」の輪郭が、なんとなく見えてくる気がする。

「あともうひとつ」とマルコは、ノアが朝に挽いた粉を指でつまんだ。「同じ中挽きでも、粒が揃ってるかどうかで話が変わる。質の悪いミルは、細かい粉と大きな塊が混ざる。細かい粉からは出すぎて、塊からは出きらない。一杯の中に過抽出と未抽出が同居するんだ」

「じゃあ、どんなに設定を頑張っても、ミルがムラを作ってたら台無しってことですか」

「そういうことだ。だからうちのミルはいい値段がする」とマルコは笑った。

コーヒーの成分には出る順番がある、とマルコは続けた。酸味や華やかな香りは早く出る。甘みやコクはその後。そして苦みや渋みは、最後にゆっくり出てくる。

「出しすぎれば、最後の渋いやつまで全部出ちまう。これが過抽出。逆に早く切り上げすぎると、酸っぱくて薄い。これが未抽出だ」

ノアの頭の中で、昨日の三つの変数がひとつの絵につながりはじめた。

挽き目・湯温・時間の三つの変数が抽出の進み方を決め、結果が未抽出・適正・過抽出に分かれることを示す図
三つの変数はすべて「抽出の進み方」を動かすツマミ

つまりさっきの失敗は、挽き目を細かくして「出やすく」した上に、湯が滞留して時間まで伸びた。ツマミを二つ同時に「出る方向」へ回してしまったのだ。渋くなるのも当然だった。

湯温というもうひとつのツマミ

「じゃあ湯温も同じ理屈ですか。熱いほど出やすい?」

「そのとおり。沸かしたてでガンガン出すか、少し冷まして穏やかに出すか。深煎りの豆は成分が出やすいから、湯温を少し下げてやるとバランスがいい。浅煎りは出にくいから、高めの湯でしっかり出す」

「目安ってあるんですか」

「絶対の数字はないが、うちでは沸かしてから一呼吸おいた90度前後を基準にしてる。深煎りならもう少し下、浅煎りなら沸かしたてに近くてもいい。大事なのは数字そのものより、毎回同じ温度で淹れられることだ。温度が毎回バラバラなら、味がバラバラでも原因を探しようがない」

マルコは温度計をノアに渡した。同じ豆で、湯温だけを変えて二杯。沸かしたての湯で淹れた一杯は力強いが少し尖っていて、少し冷ました湯の一杯は角が取れて甘みが前に出た。並べて飲むと、昨日までは「気のせい」で済ませていたはずの違いが、はっきりと言葉にできる。

「ほんとだ……。ツマミひとつでこんなに変わるんだ」

「だから一度に動かすツマミはひとつだけにしろ。二つ同時に回すと、どっちが効いたのかわからなくなる」

閉店間際、ノアは朝の失敗をもう一度やり直した。挽き目は「一番細かい」ではなく、マルコの基準から半段だけ細かく。湯温はいつもどおり。落ちてきた一杯は、朝の渋い一杯とは別物だった。コクが増して、それでいて渋みは顔を出さない。

「これです。朝、僕が作りたかったのは」

「だろうな。ツマミを半歩だけ回す。全開にしない。それが変数との付き合い方だ」

帰り際、ノアはレシートの裏にボールペンで走り書きをした。「細かい=出やすい。粗い=出にくい。熱い=出やすい。動かすのは半歩ずつ、一度にひとつ」。たった二行だが、朝の自分に渡してやりたいメモだった。

まとめ

確認クイズ

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豆を細かく挽くほど味が出やすくなる理由は?